氷炭_03_4/17

「自己肯定感」という言葉を頻繁に見聞きするようになってもう10年以上は経っている気がする。Wikipediaによれば1994年からある言葉らしく、1985年には臨床心理学の分野にあった概念のようだけれど(詳しくは高垣忠一郎氏のWikipediaを見てください)私が子供の頃にはまだ一般的な用語ではなかったと思う。教育現場で注目され始めたのが2016年らしい。今はSNSで検索すれば誰もが上がった下がった言っている。そして、それを見かけるたびにいつも「自信と自己肯定感がごっちゃになってないか?」と疑問が浮かぶ。自信と自己肯定感、ごちゃごちゃになってない? いや、高垣氏が使ったのとまったく同じ意味を理解しておく必要はないよ。でもさ、もしかしたらそれって、資本主義社会においてかなり都合が良いんじゃないの? という事を、このところ仕事しながら考えている。黙々と身体を動かすタイプの仕事なので頭の中が暇なんですよね。

最初に疑問を持ったのはTwitterでいわゆる美容整形アカウントを見かけた時だった。と思う。その人は手術後の顔写真に「自己肯定感かなり上がった」という一文を添えていた。その時にはそれは自己肯定感ではなくて自信では? と思いながらスルーしたけれど、同じような使い方をしている人が意外と多い。いいんだけど、いいんだけど、すごく気になる。「自己肯定感」という言葉がほとんどアンブレラタームとして使われているので(そもそも明確な定義はまだされていないらしいですよ)その中に「自信」も含まれているのかな…と思うけど…でもやっぱり別のものじゃないか。大人になってから自己肯定感を上げるには自信を積み重ねていくしかないので、完全に切り離せるものでもないけれど。

思うに、自信には根拠があるのだ。あやふやなものでも。子供の頃なら足が速いとか、テストで100点を取ったり、元素周期表が全部わかるとか、ポケモンバトルでクラスの誰それを負かしたとか。大人になっても同じで、仕事ができるとか、同期より給料が高いとか(個人的には比較による自信はバカらしいと思うけど、人によってはね)、仕事しながら毎年同人誌出してますとか。美容整形アカウントの人は望み通りの鼻の形を手に入れて、自信が持てたんだよね。根拠のあるものだから、私達は一時的に自信を失った時、料理や家事をこなして「自分はこれができたから偉い。大丈夫」と取り戻す事ができる。

それに対して自己肯定感に根拠は必要ない。高垣氏は「『自分が自分であって大丈夫』という自分に対する信頼」と著書に書いたらしい。私が私であって大丈夫。足が遅くても、勉強ができなくても、鼻の形が好きじゃなくても。だからといってコンプレックスを無理に肯定的に受け入れる必要もない。「鼻の形は嫌いだけど、これが私の鼻なんだな」と思える、という程度の話。でも、だからこそ、自力で自己肯定感を高めるのってすごく難しいよね〜どうしたらいいんだろうね。

もちろん美容整形も否定はしない。筋トレとかもそうだけど、すでにある程度の自己肯定をできている人が「更に自分に自信を持つために」それを行うのはとても意味のある事だと思う。でも、自己肯定感が低い人が「せめて少しでも自分を好きになれるように」と縋るようにするのは、まったくの逆効果を生んでいると思う。それはつまり「こうしなければ好きになる価値がない」という否定そのものだからだ。そしてそこに資本主義は付け込んでくる。もっと美しくなれれば。これは美容整形だけではなくて、例えば自己啓発本なんかも似たようなものだと思う。もっと読めば。もっと読んで価値のある自分になれたら。

若い頃に歯のホワイトニングをした事がある。詳細は忘れたけれど、1万円で専用のマウスピースを作って、マウスピースに塗るためのジェルを買う。ジェルは1本5000円くらい。だいたい半月でなくなるので追加で買う。総額3万円くらいは使ったんじゃないだろうか。子供の頃から歯の色がコンプレックスで、それが原因で口を開けて笑う事ができなかったので、ホワイトニング自体には後悔はない。お金をかけてもやって良かったと思ってる。ただ、渡された資料の中に歯の白さの段階を示すチャートのようなものが入っていて、それを自分の歯と比べて「今はこのくらいの色だな。あと2段階は上げなきゃ」「先月ちょっとさぼったから段階が落ちたね」と歯科医と比べる行為は馬鹿らしかった。幸いにも私は「不自然な白になる手前で止めたい。その後はやらない」とゴールがはっきりしていたのですぐに終わったけれど、人によってはホワイトニングから抜け出せなくなるだろうなと思った。だって白さが1段階上がるたびに「白くなりましたね〜!」って褒めてもらえるんだもん。価値の基準を自分の外側に持つとろくな事にならない。

昔から雑誌という形態が好きでよく買っているのだけれど、最近はあまり楽しめなくなってきた。特にファッション誌は、顧客の購買意欲を高めるためにおそらく意図的に自信と自己肯定感をごっちゃにしているんだな、というのが透けて見えるから。少し前に高校生向けの二重手術の広告が有害だと話題になったけれど、あれと近いところにある。消費によって得た自信は自己肯定感には繋がらないんだよ、という事を誰かが教えてくれたらいいのに。教育? 教育が足りないのかな? まず運動会で順位を出すのを止め、試験結果を廊下に張り出すのも止めたほうがいいと思いますよ。

 

自己肯定感を上げるのが困難な以上、大切になってくるのは「いかに自己肯定感を下げないか」「自己肯定感を下げる環境からどうやって逃げるのか」なんだけど、そこの判断がすごく難しいんだろうと思う。友人にも、フォロワーにもそういう人が結構いる。助けてあげたいけれど具体的なメソッドがあるわけでもない。個人的にはね、部屋の掃除からかな…別に断捨離が好きってわけではないんだけど(私はそもそも持ち物が少ないので)身の回りにあるかつて好きだった物、憧れて買ったけど生活に馴染まなかった物、達成できなかった習い事の資料、そういうものを捨てていくと今の自分の姿かたちがくっきりして良いですよ。それができたら人間関係の断捨離をする。こっちが本番。部屋の掃除は練習。

 

ここまで書いたら疲れちゃったのでもうおしまいにします。みんなが心身共に健康でいてほしいよ。ところでおすすめの猫の爪切りってないですか? 人間用でもいいんだけど…元気丸の後ろ足の爪が立派で、分厚すぎて、使っている爪切りだと挟まらないんですよね。切った爪がどこかに飛んでいかないやつがいいです!!!