きゃべつ①2023/1/13

交換ブログをやろうという話になったのは、昨年12月17日。私がドラクエ11のレベル上げをしながら、モクリで氷炭さんとシロサンとおしゃべりした日のことでした。実際、私はドラクエ11のレベル上げはしなかったし、交換ブログの話をしたときも氷炭さんは既に寝てしまっていました。多分「交換ブログをやろう」と言い出したのはシロサンだったと思いますが、どちらでもいいことです。私は食い気味に「やります!」と言ったわけだし、そして誰よりも楽しみにしていた身です。すごく嬉しいです。何書いちゃおうかな!?

 

話は変わりますが、漫画やアニメでよく見る表現「◯◯(戦いやゲームなど)をしているときが一番生きてるって感じがする!」に全く共感ができないことに最近気がつきました。近年のオタクたちもこの構文を使ってオタク活動の喜びを表すことが多いです。

生を実感するとはどういう感じなのでしょうか?当然私は命がけのバトルに興じることはありませんし、部活で死に物狂いで練習して試合に出てめちゃくちゃな接戦を繰り広げたりもしません。昔、向かいから歩いてきたデブの男にわざとぶつかられて、車道側にぶっ飛んでトラックに轢かれかけたことがありますが(ロングコートの裾にタイヤ痕がついていました)その時も、痛みや苦しみへの恐怖が強く、「あのくそでかいタイヤが腕の上を過ぎていったら、小枝のように折れたのだろうか……」みたいなことで頭がいっぱいになってしまい、生きていて良かったとか、そういう感情は抱けませんでした。

思えば私は、何をしていても生きていて良かったと感じたことがないかもしれません。楽しいこと、嬉しいこと、これから楽しみなことなど全て、私が今生きている理由になり得るほど、夢中になれていません。「◯◯(ライブやコンサート)までは死ねない」といった構文もよく目にしますが、そう思えたこともほとんどありません。

 

と、ここまで長々と書きましたが、私はつい最近やっと生を実感することができたのです。それは、先月から始まったジム通いのおかげです。

初日、YouTubeのトレーニング動画を参考にしつつ、スクワットを90回やりました。翌朝ベッドから起き上がろうとした私は、あまりの激痛に耐えかねて床に転がり落ち、ちゃぶ台に頭をぶつけました。膝も私も笑っていました。なぜかその時はじめて「生きてる……」と思いました。痛みという刺激に脳がハッとしたような気分です。

だからといって、別に筋トレにハマったりはしませんでした。やらなくてもいいならやりたくないし、筋肉痛は全然嬉しくないものです。今も毎日いやいや筋トレをして、いやいやチャリを漕ぎながらメイドインアビスを見て「きもちわりぃ~!」と言っています。

 

私だけが頻繁に字を書きたがっているような気がして、恥ずかしいなと常々思っています。実は個人のブログもあるし(人生への愚痴しか書いていないし誰も読んでいない)個人的に一次創作をしていたりもするので、何だかんだ常に何かを書いているのですが、誰かと書いて読みあうことの楽しさは特別なものだと感じています。皆さんが飽きるまで、是非お付き合いください。

 

よろピク!!!!!!!!!!!!!!!!!!