氷炭_05_10/10

冬の気配がする! ハロー、ごはんがどうしても面倒で妥協に妥協を重ね、久しぶりにカップ焼きそばを食べようとしたら小さな袋が5つも出てきて、それぞれに「フタの上で温めてください」「フタの上で温めてください」「フタの上で温めてください」「直前に入れてください」「直前に入れてください」「先に入れてください」「直前にかけてください」と書いてあり、そういう手間が面倒でカップ焼きそばにしたのにこれだったら普通に卵焼きでも作った方が絶対に楽だった!!! と咽び泣きました。今やカップ焼きそばは立派な料理です。こうやって人は老いゆく。

 

あまり書くことがない。秋冬の私はもっぱら編み物、編み物をしながら映画を見る、たまに本を読む、また編み物をする、編み物をしながら小説を書く…の繰り返しなので、特別な出来事は起こらない。今年は着てくれる人が何人かいるので例年より編みがいがある、というのはある。青いセーターを終え、赤いカーディガンを編んでいる。これが終わったら自分の帽子かセーターを編みたい。

 

『グッドオーメンズ』良かったねって話もしたいけど、一人で抱えてしみじみここがよかった、あそこがよかった、って考えているのも好きなので、まだあんまり書かないでおこうと思う。Twitter? あれは思考の外部装置なので別にいいんです、独り言なので。

ああ、でも、この記事がよかったので、これだけは改めて紹介しておきたい。

Smited, Smote, Smitten: A Reading on Queer Longing in Good Omens | Tor.com

クィアリーディングの記事なんですが、執筆者の激情が溢れている。執筆者によるキャラクターの心情解釈部分はさておき(そこが記事のメイン部分だし、すごくよく解釈されていて悲しくて苦しいんだけど、私にとって重要なのはそこではないので)どうして『グッドオーメンズ2』がここまで刺さって痛いのかがしっかり言語化されている。

…and what works for me is that it actually delves into asking the damned question: What if this love is a threat, actually?(意訳:私が本当に打ちのめされたのは、この物語が『では、この愛が脅威となってしまったら?』という忌々しい命題にまで掘り下げられているからである)

愛し合っているからオールオッケーな物語なら飽きるほどに読んだ。手を取り合い社会運動へ立ち上がる物語も。でもそこにある分断と別離を描いた物語は少ないから。 love isn’t enough、と記事が繰り返す。アジラフェルもクロウリーも、どちらも間違っていない。愛し合っていなければこんなに傷付かない。でも、愛、それだけでは十分ではない。私たちは社会から完全に切り離されては生きられない。あーーーーーニール・ゲイマンが、この物語の2作目を今、この時代に書いてくれたことに感謝してる。それが天国と地獄、天使と悪魔というわかりやすいモチーフに置き換えられて行われているということにも。きっと彼らにハッピーエンドを与えてくれると信じてる。(ちなみにイギリスで同性愛が合法化されたのは1967年、同性婚の施行は2014年からだよ)

この記事の締め括りの文章も好きなので書いておきます。日本語訳が下手なのは、本当にごめん。

Theirs has always been a love story. I’m so relieved that finally, like Aziraphale and Crowley, we no longer have to read it between the lines.(意訳:これはずっとラブストーリーだった。アジラフェルとクロウリーが今や言外の愛を探り合う必要がないように、私たちももう行間を読む必要はない。そのことに、私はやっと安堵している)

 

追記:なんか…読んでねというのも不義理なので、訳したものをこっそり貼っておきます。https://fse.tw/CxtBztcb